お久しぶりです。卒論と並行してこの記事を書いています。いわゆる現実逃避というやつです。
今回はいったん「走る」ということから離れたオリエンテーリングの話をしていこうと思います。
今日までの1年
記事の内容にかなり深く関わってくるので軽く昨年の記事からここまでの1年間に触れておきます。
笑うしかない春インカレ

秋インカレでの好走を胸に望んだ日光所野での春インカレ。まあ途中のコンピも大概遅いですが最後の最後でマップ外までぶちかまして49位という悲しい記録でした。
会場でGPSを見てた人は驚愕だったかと思いますが普通にコンパス振るのサボって降ったら砂防ダムの表記でぶち飛んで終わりました。まあこういうこともあるということで(ない)。
World Cup

6月、日本ランキングを50位くらいまで上げれたのでスウェーデンの辺境、Idreで開催されたWorld Cup Round1に参加。この月は月間500kmくらい積んでたかな?
文字通り次元の違うテレインとコース、そして選手層。テレインにもけちょんけちょんにされましたが、改めて海外選手のパワフルさに圧倒されました。
秋インカレ

日光と矢板は嫌いです。あ、いや、嫌いじゃなくて苦手ですね。すみません。
なんというか絡みつくタイプの薮にものすごい抵抗感を感じます(物理)。
運営に傾倒するきっかけ
足裏の不調…?

Twitterでぶちぶち呟いているのでご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、実は8月ごろから足裏に不調を抱えています。具体的には水虫「のようなもの」なのですがなかなか大変です。
明確に症状を意識したのは8月の名椙大会。非常にロングでタフなテレイン・コースということで堪能させていただいたのは間違い無いのですが、その際足裏の皮がいわゆる「ズルムケ」のような状態になりました。
実に痛々しいというか、実際痛かったのでそう表現しますが、皮だけふやけてすっからまってぐちゃぐちゃ見たいな生々しい状態でした。
最初は単に当日のムレと足裏の皮膚へのダメージかとも思ったのですが、日が経つにつれ足の皮がまあボロボロ剥がれていくこと。まあ、水虫やなぁと察して病院に行きました。
すぐ治る、はずだった…

案の定、水虫がいるとのことで抗真菌薬(ゼフナート)を処方してもらい菌が駆逐されるまで2ヶ月処方した分しっかり塗り切るよう指示されました。
もちろんその間、指示通り薬を塗り続けたことで足裏の損傷にはすぐに一定の改善が見られ、両足裏全体に広がっていた症状はほぼ治りました。ある箇所以外は。
何故か右足の指の間から第3関節(でいいんですかね?)にかけてが火傷のような爛れた状態に変化していきました。症状としては若干の痒みと痛み、そして出血でした。
ひとまずは指示された通り静観し薬を塗布し続けていましたが、薬も尽きた上に症状は悪化していたので再度お医者にかかりました。幸か不幸か、薬指に関しては指の左半分から始まった症状がだんだんと指の正中線を越えて右半分に広がっていくのが拡大の指標になりました。不幸ですね。
ステロイドの処方と追加のおくすり

11月中旬に再度受診したところ「なんやこれ〜わからんな?」と衝撃の一言。ワイが一番それを知りたいんだが…と言っても仕方なくステロイド軟膏(サレックス)が処方されまた様子見することに。
すると効き目抜群で塗ってから1、2日で皮膚から出血するということは無くなりました。が、それも束の間のことで劇的な効果は鳴りを顰めほぼ現状を維持するような状態が続きます。
12月に入ってステロイドも塗りきり再度受診。なんなんやろね〜これの声と共に今度は抗真菌軟膏(ルリコナゾール)と飲み薬(テルビナフィン)が処方されました。飲み薬はなんか血液検査いるやつらしいけど少量なら大丈夫とのことで飲んでます。薬剤師の苦虫噛み潰した顔がちょっと怖い…
1週間ほど塗り続けていますが残念ながら大きな変化はなく相変わらずといった感じですね。
今後の予定

こうして夏の暑さ全開の頃から冬の寒さ厳しくなる今の今まで最高に足の調子が悪い状態が続いています。おまけに10月の瀞川平で左足の捻挫も再発し踏んだり蹴ったり。俺が何したって言うんだよ…
と言う感じで完全に走るどころの状態では無くなってしまいました。やっぱ足を地面に着けると痛むと言うのはなかなかに厳しいものがあります。慢性的な頭痛持ちの方の辛さを少し分かった気がします。
こうなってくると厳しいのが「走って強くなることで貢献できない」ということです。まあこの夏は色々あって自分が活躍しないといけない状態ではあるのですが、正直無理です。どうしろってんですかこの足を。
という事で、少なからず応援してくださっている方々には激励の言葉を頂きつつも、大変申し訳ございませんが半ば諦めています。
インカレは現役として参加する最後の大会であり軽んじるつもりはないのですが、予後が不透明な状態で患部に負担のかかることをするリスクがあることもまた事実です。今後とも競技生活を続けていく上でまず目指すべきは完治だという判断です。インカレは所詮インカレ以上でも以下でもない。
気持ちの行き先は…?
まさか自分がこんな気持ちになるなんてと想定外ではありましたが、昨年より半ば走ることが当たり前のようになっていた生活にとっては走れないことそのものがストレスです。
その原動力としては昨年のアドベントカレンダーで書いた通りなのですが、それも果たせないとなるとじゃあお前の存在価値はなんだと自己に問いかけることになるわけです。
貢献とは何か

そこで「貢献する」ということの意味について考えます。ぱっと思いつくのはインカレで優勝ないし入賞したり、全日本大会で良い成績を納めたりすることでしょうか。
実際、昨年のアドカレで書いた通りもえさんやりょうすけさんのインカレという大舞台での活躍はそれまでの自信の活動指針に大きく影響するところがあり、そのためにより高くより大きな目標へと辿り着きたいというのが努力の原動力だったように思います。
「走りで魅せる」という言葉の通り、自身の走りをインカレやいろんな大会で見るであろう阪神奈や神大の後輩たちにあんな走りがしたいと思ってもらうことが「貢献」なのだと考えていました。
存在意義とは何か

その姿勢の実現が困難になった今、私は自分の存在意義を何に見出せば良いのでしょうか。果たしてそのような「貢献」ができない人に存在の意義はないのでしょうか?
言うまでもない事ではありますが、私はそのようには思いません。オリエンテーリング限らず社会というのは複雑です。当然、その分野に全力を尽くし先に言う「貢献」を続けることが容易に可能な人もいれば、弛まぬ努力を持ってしても目標に届き得ないということも無数にあり得るでしょうし、趣味レベルで活動を続けることを視野に入れている人も多いはずです。
それらある社会に属する人々の存在意義というのは誰かによって規定されるべきものでなく、自分自身の規範とする価値観に従ってあくまで自分自身にとって課すものというものであるべきです。
どんな「貢献」の仕方も正しいものであり、そもそもどういう風に「貢献」を行うかは個人レベルの価値観の問題でしかないと言い換えることすらできます。つまり何が「貢献すること」かと聞かれれば三者三様の正しい答えが帰ってくるということです。
問いの答え

であるならば、改めて自分にとっての「貢献」とは何か?
その答えを私は「オリエンテーリングの土台を作る」ことに見出しました。なんか強そうな表現にしましたが要するに「大会運営や地図作成」に携わることです。
その心は?と聞かれると少し難しいものがありますが、自分にとってこれまで「貢献すること」と思っていたことは「(オリエンテーリング社会に属する)誰かのためになる」ことの一側面なのではないかと考えます。
神大大会に見るその気持ち

神大大会の実現に向けた努力はきっかけこそひょんなことと言えど、神戸大学や阪神奈のオリエンテーリングクラブのある種の資産を成すという大義がありました。
当時は分からないこと、出来ないことがたくさんでその意味や意義を背負った上で行動していたかというと必ずしもそうではありませんでしたが、やるからにはやるというある種の使命感を持って突き進んでいたということは紛れもない事実です。
※神大大会に関しては以下の記事をどうぞ。
いわば「道」である

この「誰かのためになりたい」という気持ちをもっと言い換えるなら「道」だと思います。
競技に注力することが追いかけてくれる人や応援してくれる人のために暗闇の荒野に「道を切り拓くこと」と表現するならば、大会運営や地図作成をすることは「道そのものとなること」と言ってもいいのではないでしょうか。要するに俺が道になる!と言うことです。
道を拓く者、道と成る者、その両者無くしてこのオリエンテーリングという社会は成り立ち得ません。誰かが運営してくれるからこそ競技に注力できる一方、
僭越ながら申し上げさせていただくと今の自分はその「両方」がやりたいのです。それを理想を求めすぎと言う人もいるかもしれないし、中途半端だと言う人もいることでしょう。
しかし、その両方に少なからず触れてその大切さを知り、あまつさえオリエンテーリングというスポーツそのものの魅力に虜になってしまった私にとっては、そのどちらかを切り捨てることなど到底できないと思うようになりつつあるのです。
君も鬼にならないか?
ということで今やってる運営リストを大小問わず挙げてみました。公にできないことは未定としています。
| 時期 | 役職 | |
| トータスジュニア合宿 | 25年12月 | コースプランナー |
| 東北大冬合宿 | 25年12月 | コースプランナー |
| 再度公園練習会 | 26年1月 | 現地要員 |
| 小豆島大会 | 26年3月 | 競技責任者・作図 |
| 関西スプセレ | 未定 | 未定 |
| 京京立大会 | 26年10月 | EA |
| WMG関西 | 27年5月 | 未定 |
思ったより多くなかった…という感じではあります。どうしても競技者としても頑張りたいという気持ちがあるので全日本大会などは参加者として参加させていただきたいというところ…
まあ半年以上前から運営に入ることもそんなに多いわけではないでしょうからきっとこれから増やしていきましょう。というか今卒論とCPが被りまくって火の車でヤバいです。

以上、お気持ち多めの文章でしたが完読ありがとうございます。なんか写真集みたいになってしまいました…
絶望的に色々と時間がないのでだいぶ説明とか足らない部分がありますが、たまには少し短めの文章にしてしまっても良いでしょう。
もっと「運営楽し〜、大会開くぞ〜」という人が増えたらもっとガヤガヤとオリエンテーリングを楽しむことができる未来に繋がるんじゃないかと思います。その先駆けの一人になれるような自分自身のオリエンテーリングライフを見つけていきたいですね。
お暇な方は最後にいくつかおすすめの記事を掲載しているので読んでいっていただければ幸いです。去年のアドベントカレンダーもあります。
あとがき
正直、OLPにこんなに若手が入ってくるなんて露ほども思っていませんでした。自分が入った2022年で現役だったのはりょうすけさんだけ。自発的な入部者という意味ではまさに自分ひとり。
それが今や小豆島大会の運営者の半数が現役学生というひと大会を担えるまで拡大したのは一つ感慨深いものがあります。トリムは…圧倒的赤字になるのでお金とってもいいかなって(笑)
勝手に自分のことを学生時代から地域クラブに入る流れを作った先駆者と思っているので、この流れがもっと続いてほしいですね。


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