プロローグ
さてさてさーて、沖縄遠征も折り返し3日目になりました。昨日は100kmほど自転車に乗って沖縄中部地方の海中道路や幾つかのグスクにお邪魔しましたね。
今日は昨日とは逆の沖縄南部地方の方へと漕いで行き景勝地を何個か巡るのと、日本人なら…いや人類なら一度は行っておきたい戦争史跡(といって良いのかな?)を見学しに行きましょう。
本編
向かい風に逆らって
おはようございます。今日も昨日から引き続きロードバイクで沖縄本島をあちこち巡って行こうと思います。昨日は一日中曇天でなかなかパッとしない天気でしたが今日は朝から太陽が顔を覗かせていてなかなか良い気分になります。
琉Qレンタサイクルのサイクルラックに一時的に停めていたDEFY3を回収して出発。昨日は出発が9時を回ったことでだいぶ時間に追われてしまったので1時間早めの8時ごろに出発できるように準備してきました。
午前8時台といえば皆様は何が思いつくでしょうか?そうですね、朝の通勤ラッシュの時間帯です。沖縄那覇の市街地も例に漏れず朝方はしっかり街中の細めの道路まで渋滞しており「すり抜けずの誓い」を立てている自分にとってはなかなかヤキモキする状態。
乗用車の渋滞もウザいことこの上ないですが自転車で巻き込まれる渋滞はそれ以上の苦痛があります。どうせ大して進まないからとチンタラ行くと後ろから迫られるしかと言っていきなり車並みに加速するのも距離を取れないのでしんどいというジレンマ。
なかなか進まない車列に紛れてのんびり走ること10分ほど。国場の交差点でようやく幹線道路と言える国道507号線に合流して東へと進みます。そのまま329号線に乗り昨日終盤に通った道を逆走していきます。
流石に国道級の道路は車線は多いわ道幅・路肩は広いわで走りやすいと感動。もうすぐ9時台という時間になってきたことも相まってしばらくスイスイと快適に進めました。昨日右折して戻ってきた与那原の交差点を曲がらず直進し国道331号に乗り換え。
那覇の市街地からは離れたので交通量はそこそこ減ったのですが、代わりに郊外の幹線道路ということで大変トラック通りが多くてなかなか恐怖感を感じる道です。道自体はまあ可もなく不可もなくなので頑張って進みます。
今日は朝は西風、お昼時にかけて南風に変わるといった予報。風速はだいたい8m/sくらいだそうでまあ向かい風では出会いたくない感じ。しかし残念ながら知念半島を回り込める10時ごろまでは強い風にさらされながら漕がなければなりません
向かい風に苦労しながらもなんとか漕ぎ続け知念半島の北にたどり着いたら名もなき交差点を左折。看板に「サンサンロード」と書いてある謎の道の方へと向かいます。
先ほどまでの国道331号線は海岸から少し離れた高台を走っていたのですがサンサンロードは海沿いを走るのでもっと風が強い。海も先は外洋ということもあって結構荒れ模様な印象を受けました。
知念岬・ニライカナイ橋・奧武島
海沿いから随分とせり上がってしまった国道331号まで全力で登りかえ…せず徒歩で自転車を押して登り、もう少しで風に向かって行かずに済むと心を奮い立たせて峠まで登ると最初の目的地である知念岬の入り口です。
駐車場へと続く道に入りそこらへんの柵に自転車を固定して見てまわります。知念岬は文字通り知念半島の先端に位置する岬。周辺は公園として整備されておりなかなか長めの良い場所です。
昨日と違って今日は晴れ予報なので眺望も割と期待していたのですが…残念ながら今にも雨が降り出しそうな雲が広がっていて絶景というふうにはいかず。というかこの後パラパラと断続的に降ってきましたし。
若干わかりにくいですが写真の左手の方には沖縄の島々の中で最も神聖な島とされている久高島があります。高い地形や建物が全くない島なので初見だと見逃してしまう薄さです。
知念岬から南西方向に目をやると沖縄本島の南の海岸線とともになんとも存在感のあるデカい橋が山の中にあるのが見えます。あれはニライ・カナイ橋と言って海岸付近の国道から台地の上にある集落とをダイレクトに結んだ文明の利器です。
ニライカナイというのは海のはるか向こうに存在すると言われている理想郷のこと。某スマホゲームで名前は聞いたことがありましたが、沖縄や奄美群島付近が発祥だったんですね。先人たちは大いなる海の向こうに理想郷を描いたのだと考えると見える景色がなんだか変わったり…?
今日のルートからは少し外れてしまうしなかなかキツいアップが続く道ですがこんなワクワクする道があるのにそこを走らないだなんて勿体無い!
ということでもちろん橋の上の高台のところまで登ってきました。流石に高度があるだけ眺めもよく橋の後ろには大海原が広がっています。確かにこんな景色を見たら海の遥か向こうにそんな世界があってもおかしくないかもと思えますね。
知念岬とニライカナイ橋の次は奧武島へ向かいます。相変わらず続いている国道331号をひた走り小さな集落が連続するエリアを抜けていきます。所々アップダウンがありますがそこまで急ではないので登った後のしばしの降りが気持ちいい。
南東へと走っているとそのうち天気が良くなってきて青空と太陽も見えるように。こうなってくると陽気は完全に初夏で半袖ですが走っていても全然寒くない。むしろ止まってしまうと照りつける日差しで暑いくらいです。
いい感じの交差点で国道を外れ奧武島へ続く道に。海岸線まで結構降ってしまったので後で登る時のことを考えて若干げんなりしましたが致し方ありませんね。
時刻は10時を過ぎた頃。お腹が空いてきましたがまだどこのお店も開いていない時間帯なので先にそこらへんのビーチに行くことに。ビーチというには若干岩がゴツゴツし過ぎているようなきがしなくもないですがそれにしても海の色が美しいこと。
小さな島なのでサクッと一周して近くにあった龍宮神というこぢんまりとしたビーチを眺めたりしてぶらぶらしていたら11時になったので島の入り口付近にあった天ぷら屋さんでお昼ご飯に。
定食などの販売はもう少し後とのことだったのでさかな・えび・もずくの天ぷらを注文。どれも100円台でしたがさかな天はホクホク、えび天はプリップリでめちゃうま。特にこのもずく天は初めて食べましたがふわふわとした食感で病みつきになります。他でなかなか見ないですよねもずくって。
平和祈念公園・ひめゆりの塔
天ぷらを食べ終わったら奧武島を出発し次の目的地は平和祈念公園。それまでの道のりには失礼ですが特に見どころといった見所はないのでお尻の痛みと格闘しながら頑張って自転車を漕いで行くのみ。風も横からになったので幾分かマシですね。
まもなく正午になろうかというところで平和記念公園に到着。本当によく整備された公園で美しい雰囲気ですが、まずは平和祈念資料館を見てまわります。ちょうど自分が行ったタイミングで修学旅行生が今にも入るというところだったので急ぎました。
展示物もいくらか紹介できれば良かったのですが原則撮影禁止だったので残念ながら叶わず。大まかな展示内容に関して述べると沖縄戦についてとアメリカ占領下の状況に大きく2分できるようなものでした。
特に生き残った人々の証言集が陳列されているエリアはぜひ見ていただきたい、いや読んでいただきたい。女性や子どもたちの生々しい証言は当時どのような光景が広がっていてどんなことが起きていたのかを後世の私たちに文字による伝聞の形でありありと伝えてきます。
10冊ほど(1冊に3〜5篇ほど)証言集を読みましたがこうも衝撃的というか、魂を揺さぶられるかのような感覚に陥るとは思ってもいませんでしたね。民間人を巻き込んだ現代の戦争が如何に悲惨なものかが良く分かると思います。
展示物を見終えて外に出るとそこは「平和の礎」と呼ばれる戦没者の名を刻んだ石碑が立ち並ぶエリア。東遊園地にある阪神淡路大震災の慰霊碑ですら数多くの名前が刻んであるというのに、ここにはその数十倍の名前があると思うと…
沖縄戦で亡くなった人の数は分かっているだけで24万人を超えるそう。あまりにも膨大な数すぎて実感が湧かないですね…平和の礎を歩いているとその膨大さに圧倒されます。
大海原の遥か向こうから鉄の暴風がやって来てこの地を吹き荒れ死屍累々の山を築いたとは到底想像もつかない、平和祈念資料館から見えた海は青々として底知れぬ明るさを湛えた息を呑むようなそんな美しい景色でした。
平和の礎の南側にはエントランスから続く太い道と平和の丘があり一面に芝生が広がっています。欧米系の家族連れが微笑ましく遊んでいましたね。結構公園内で欧米人を見かけた気がします。
中央の通路の両脇には花壇が広がっており2月でも何種類かの花が咲いており、一番数の多いと思われるひまわりが咲き誇る夏になるとさらに彩りが豊かになってさぞかし綺麗なんだろうなと思ったり。
「青色の風」と形容するのがぴったりな強い海風が吹きつけて来ますがそれ以上に日差しが強くなかなかに暑いので売店でアイスクリームを購入。マンゴー味とココナッツミルク味だったかな?冷たくてアイスを食べるのに本当にぴったりな環境でした。
少し離れたエリアに「霊域ゾーン」というのがあって各県ごとに慰霊塔があるのですが今回は時間の関係でスルー。少し罰当たりなきはしましたが返却遅れをやらかすと色々まずいので。
平和祈念公園を後にし西に30分ほど自転車を走らせるとひめゆり学徒隊で有名な「ひめゆりの塔」と併設された資料館があります。こちらには献花台が設置されていて多くの方が献花されていましたね。
この納骨堂の下…というか手前でしょうか、大きなガマの入り口がありまさにここでひめゆり学徒隊の生徒たちが陸軍の外科壕として負傷者の治療にあたり、最終的には投降勧告の末に米軍の攻撃(爆弾の投下・ガソリンによる放火等)で80人が命を落としました。
併設の資料館も先と同じく撮影は禁止、内容は主にひめゆり学徒隊に焦点を当てた沖縄戦の動きについてでした。学校での楽しい生活から厳しい壕内での治療活動に至るまでが詳細に展示されており年端も行かぬ少女たちが辿った命運の悲惨さを語り継いでいます。
平和祈念資料館よりは規模が小さいですがより戦局などが詳細に説明されているので十分に見応えはありました。同じ時に見学していた修学旅行生も序盤は騒がしかったのが段々と静かになっていくところを見ると自分と同じく心打たれるものがあったのでしょう。
喜屋武岬・沖縄湾岸
さて気を取り直して…というと少し語弊があるようにも思いますが出発して次は喜屋武岬を目指して進みます。平和創造の森公園というところも寄ろうかなと思ったのですがアップダウンがしんどくてそれどころではなかったので通過。
入り組んだ道をSUUNTOのルートガイド通りに右に左に曲がって進んでいくと…なんと未舗装路が現れたではありませんか。ロードバイクとして設定したはずなんですけどねぇ、これだからSUUNTOのルート作成機能はクソ。
流石に未舗装路を突撃してパンクでも使用ものなら面倒この上ないですからいい感じの場所で舗装路まで引き返して進みますが…おい、地図ではこの先にも道があることになっているのですが現地はどう見たって道なんてない草むらに到着。
流石に呆れてしまったのでGoogle Mapに導かれるままに進んでいったらなんとか未舗装道路エリアから脱出することができました。やっぱ道案内はGoogle Mapってはっきりわかんだね。でも、バイクを未舗装路に連れて行ったりとかもするらしいからやっぱり信用ならんかも?
まもなく14時半になろうかというところで喜屋武岬に到着です。沖縄本島最南端…と言いたいところではありますが残念ながら最南端ではありません。が、容易にアクセスできる場所ではここが一番南と言っていいでしょう。
写真の中央付近の岬が荒崎で本当の最南端ですがまともに道がないとのことで今回はこちらに。平和祈念資料館の証言集でも喜屋武岬は島民や軍人たちが逃げたと書いており、この崖の下の入り組んだ岩場に隠れたりしたのかなと雄大な景色を見ると同時にそういったことも想像したり。
田園地帯を走って市街地へ戻ろうとしたのですが近くに城があるというような表示を見つけたので行ってみることに。名前は具志川城というらしく昨日訪れた中城などとは違って結構こぢんまりとした印象を受けました。
残っているのはやはり石垣のみでそれも多くが崩れかかったかなり荒廃した城といった感じ。調べてみるとごく短期間のみに使われた城なんだとか。きっとこんな城が沖縄の島中に点在しているんでしょうね。
さて、今日みようと思っていた沖縄南端の観光地は全部巡ったのでこの自転車を返却するために那覇の市街地の方へと戻ります。田園風景の中を走り抜け小さな集落の中を通り抜けて国道331号に出ます。だいぶご無沙汰していましたね。
ここからは沖縄本島でもかなり大きな都市の一つである糸満の市街地を通るので車線も増えて道幅も広くとても走りやすい。ちょうど下校時刻だったようでランドセルを背負った小学生や制服を着た中高生がたくさん見受けられました。
しばらく走っていくと国道331号線は海岸部の埋立地の上を飛び越えるように走っていくよう高架道路に切り替わります。流石に通常の国道といえど高架道路には自転車で進入することはできませんので迂回する必要があるのか…
ということは流石になくて、車用の入り口からさらに海岸へ進んだところには河口を跨ぐ橋へと登っていくための歩行者や自転車のための専用の入り口があるのでそこからアプローチ。初見だと気づかない罠っぽい構造をしています(笑)
白い砂の輝くここは豊崎海浜公園美らSUNビーチというところ。随分と名前が特徴的ですがこれが正式名称で間違いないみたいですね。アウトレットモールやイオンモールのある埋立地の西側にある海水浴場です。
ちょうど南風の本日は那覇空港の滑走路から飛び立ってきた飛行機達が轟音を響かせながらここの真上を飛んでいく光景が見られます。道ゆくおっちゃんに観察されながら自分は飛行機を観察。こいつは737…あいつは何だ?みたいな?
しばらく観察を続けていたのですが如何せん飛行機の腹側しか見えないもので写真も面白くないし何より自分がそこまで詳しくないのでフライトレーダーを見ないと何が来るのかさっぱりわからないよ。
ということでもう少し北のところに自転車を走らせてやってきたのは瀬長島というところ。どうやらリゾート的な感じになっているらしく夥しい数の観光客でひしめき合っていました。なんか観光地っぽい岩とかもありましたが到底写真を撮る気にはならなかったな…
この島は本当に那覇空港の近くにあり滑走路の終端から1kmと離れていません。ということでかなり低空を飛行している状態の航空機を観察できます。この子はみんな大好きボーイングの737かな?白い機体と赤い鶴は見紛うことなきJAL機ですね。
この後も何機か観察していたのですが雲行きが怪しかったのが崩れてきまして雨が吹き付けるように降ってきました。ここまで何とか持ってくれていただけマシです。さっさと出発して自転車も返却してしまいましょう。
空港方面へと向かう道路に吸い込まれてしまわないように注意しながら国道331号線を進み奥武山公園の手前で右折し市街地に入ります。写真はちょうどモノレールの奥武山公園駅があるところの交差点ですね。
那覇の市街地なので昼間からそこそこ車がいますから運転には細心の注意を払います。こんな最終盤で接触事故でも起こしたら悲しみでしかありません。
最後に見に来たのはラムサール条約に登録されている湿地「漫湖」とそれに架かっているとよみ大橋です。ラムサール条約というと釧路湿原や尾瀬、琵琶湖などが有名ですが沖縄の漫湖も同じく登録地の一つです。
湖ではなくあくまでも湿地帯なので景観が良いかと言われると…泥地に水がところどころあるような干潟っぽい景観をしています。ちなみに読み方については別にそのまま読んでもらって構わないみたいですよ。他意はありません。
あとは適当に道を乗り換えて国際通りを走りました。何度かすでに歩いた道のりを走りましたが…うむ、あそこは自転車でわざわざ走るような場所ではありませんね。何といっても信号が多いわ車で詰まるわで全然進みませんから。
ロードバイクの返却は一通り傷などないか確認してすぐに終了。お疲れ様〜疲れたよ〜と伸びをしてふと傍に置いてたサドルバッグをみると穴が空いていてガン萎え。シートポストが下がってクリアランスが減りタイヤと擦れてしまったんでしょうね。残念だけど仕方がないです。
歴史を刻め
宿に戻って簡単にシャワーを浴びたら晩御飯。今日はどこに行くのかというと…そうだね、みんな大好き「歴史を刻め」ですね。沖縄まで来て食べるものなのかとか思った人は修行が足りてません。出直してきてください。
開店時刻10分前に行ったらすでに5人ほど並んでいたので6人目の戦士として列に参加。中は確か7席あったようなので早く食べたい方はこれくらいの時間を目安に行くと良いのかもしれません。
六甲道と比べるといくらか緩い雰囲気でしたが無難に並にしておきました。豚ラーメンのアブラマシです。前食べた時はヤサイもマシにしたので吐きそうになってましたが今日は昨日の疲労も合わさって普通にぺろっといけちゃいました。味は普通にいつもの歴史なので心配しなくて大丈夫ですよ。
そこそこ膨れたお腹を引きずって今日も国際通りのお土産屋さんを物色しスタバで1日目の記事をちょちょいと書き始めたり。最終日に備えて寝ようとしましたが一生LINEをしていて未明まで寝れなかったという話はナイショです(笑)
エピローグ
なんだかんだで何とかなってしまっている沖縄遠征も3日目が終わりました。どうなることやらと初めは思いましたが案外何とかなるものなんですね。
やはり今日印象的だったのは平和祈念資料館とひめゆりの塔でしょうか。黒一色の部屋に並んだ証言集は圧倒されるような雰囲気を醸し出していましたね。その証言の中身は言わずもがなです。
沖縄戦や学徒動員という視点から戦争という行為がもたらす災禍の悲惨さを認識し、そこから得た教訓をどのように後世の世造りに活かすべきなのか考えさせられました。沖縄に来た際はぜひ訪れてみることをオススメしたいですね。
早いもので次は4日目、最終日。帰りの飛行機の時間があるのでそこまで色々は回れませんが楽しんでいきましょう。
それではまた〜👋
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